第30回「哀れ」
哀れ、哀れ、哀れ。
第30回だけど、今回は愚痴ります。
今日推し(加藤シゲアキ)の「粛々と運針」を観劇しました。
一言でいうと、哀れ。
胸糞でした。あれを素晴らしいって言う人は人生一回やり直したほうがいい。
今回は胸糞ポイントあげていきます。
その前に、前書き。
「築野家。一(はじめ)は弟・紘(つなぐ)と二人で母を見舞う。病室で母から紹介されたのは、「金沢さん」という初対面の初老の紳士。父が死んだあと、親しい仲らしい。膵臓ガンを告知された母は、金沢さんと相談の結果、穏やかに最期を迎えることを選んだという。まだ治療の可能性はあるのに。
田熊家。平均寿命くらいまで支払いを続けたら自分のものになる小さな一軒家を去年購入した沙都子と應介。その家のどこかで子猫の鳴き声がする。早く助けてあげたいけど、交通事故で頸椎を痛めた應介はケガを理由に探してくれない。そしてお腹に新しい命を宿しているかもしれない沙都子は不思議なことにこの話の切り出し方が分からない・・・。
平凡な生活の内に潜む二つの家の葛藤を、周到な会話で縫い合わせるように描き出す命の物語。」(粛々と運針HPより)
はい、ここまで読んだね?じゃあもうこの舞台見なくていいです。これ以上の情報ないので。
もうこのあらすじだけで物語が完結してることわかりますか?とくにはじめとつなぐの話。
それ以上なにもないんです。選んだ、終わりです。
ここでまず胸糞ポイント
①この舞台が言いたいことがわからない
「命の物語」とかほざいてますが、見てみると人間のエゴがぶつかり合うだけの話です。しかも登場人物のIQが低すぎて、少し冷静になったらわかることを1時間ほどずっと言い続けます。
特に「さとこ」は途中からずっと子供を産みたくない、仕事がしたい、自分のことをしていきたい、ということをほざいてます。もうね、哀れ。
いや、子供ができたってことそもそもまだ判明してないのに産みたくないっていうのも違うし、自分達のせいなのに、簡単に産めない、仕事をしていたいってちょっと無責任だよね。
それが一時的にだったらいいんだけど、1時間言われてみ?めっっっっちゃむかつく。ヒスか。
挙句の果てには自分の言い訳を「言い訳みたいに言わんで」とのこと。いやわかっとるんかい。言い訳やんか。更年期か。
そういうやつがいるから虐待は減らんのやで。
っという命の物語(要約)になってるので結局なに?って感じ。
そのヒス女含め夫婦も最後は「とりあえず猫探すか」みたいな感じで終わってて…は?
うん、まぁ事が前進したっていうことを表したかったんだろうがその前が酷すぎてちょっとわかんないっピ……
その②タイトルが直喩すぎる
「粛々と運針」のタイトル、もう直喩すぎんのよ。
時は進んでく、という訳だと思うんだけど、そうだね、という感じ。もっとなんかなかったか?
私なら「哀れ」とつける。加藤シゲアキ演じるはじめと「さとこ」が人の気持ちが全くわからない「哀れな人間」だから。
人間の闇深い部分を見せず、表面的なエゴと時計の針を見せて「時は進んでいく」って言われてもなぁ…
しかも舞台上でその人が成長するわけでもなく終わっていくあたり、まじで脚本家は何しとるんや…せっかくならそういうタイトルつけて、いろんな意味をつけていけばいいのにさ。もったいないよほんと。
その③加藤シゲアキ演技力もっとつけろ
いや、あんたドラマとかも出てたよね?なんでそんな下手くそなの?
最初から最後まで声が上ずってる。話すスピードが速い。余裕ない。あんた何年やってんの?
あんたが演じてる人は40歳長男フリーターだよ?40歳までフリーターしてるひとは最初からそんな急ぐか?声高くて追われてるか?違うだろ。
もっと謎の余裕があって、ゆっくり話すだろ。(個人的な意見だけど)
本書いてるのになぜもっと理解ができない?なぜ。
はぁ、わたしはほんとにNEWSのファンなのか…
それか今回でNEWSのファンであって加藤シゲアキ自身のファンではないことがわかった。わたしはNEWSの加藤シゲアキのファンなんだ。
これ以上話すともう暴言が出てきそうなので今日はこれぐらいで。みんなも会話劇には気をつけよう。
じゃあさらばだサラダバー